プロフィール

松島みゆき5こんにちは、
運波(うんぱ)セラピストのみゆきです。

私の自己紹介をさせていただきます(^^)

松島みゆきインタビュー動画

■■ 誕生、先天性疾患 ■■

三原市出典:トリップアドバイザー

生まれは現在の広島県三原市です。
生後3ヶ月の時、両親は私の異変に気がつきました。

病院での診察結果は先天性白内障と判明、生後6ヶ月で最初の手術をしました。

実家は農家で、両親はいつも田んぼや畑で仕事をしていたため、学校から帰ると祖父母がいつも迎えてくれました。

だからなのか…?
おじいちゃん、おばあちゃん子で、とても可愛がってもらいました。

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小学校の時は
牛乳瓶の底のようなぶ厚いレンズの
メガネをかけて勉強してたっけ

小学校4年生の時、
地元の小学校から広島市内の盲学校(現在の特別支援学校)に転校しました。

それからは寮生活の始まりです。
家族と離れ、友達とも離れての生活。
それはそれは寂しかったです。

毎日毎日布団をかぶり、
同じ部屋の人たちに気づかれないように声を殺して泣きました。

しかし 子供心に心配をかけてはいけないと言う思いから、

「寂しい」と言う事は、
決して両親には言わなかった、
といいますか、言えませんでした。

■■ 突然の失明 ■■

中学生になってまもなく、その異変は訪れました。

ある日のこと、グランドから教室に移動中、まったく焦点が合わなくなり、怖くて今までのように歩くことができなくなりました。12

黒板の文字が見えない!
教科書の字が目で追えない!

ついには、ノートに書いた自分の字が見えな見えなくなってしまいました。

いったいどうなっているの???
私に何が起こっているの???

あれよあれよと言う間に、その症状は坂道を転がるように進行していきました。

ドクターに告げられた病名は、強度の弱視からくる網膜剥離との事でした。

夏休みになって2度目の手術をしました。

その当時、日本で3本の指に入ると言われたドクターに手術をしてもらったものの、私の視力は回復することはありませんでした。

なんで? どうして?
これからどうしたらいいの?16

この現実を受け入れられるわけもなく、恐怖と不安と絶望に押しつぶされそうだった。

とてもじゃないけど明るい未来なんて想像することはできません。

がしかし、そんな事は言っていられない。
現実問題として、勉強しなくてはならないため点字を覚えました。

高校生活も終盤になると、他の学校の生徒同様、進路の選択をせまられます。

ほとんどの同級生が、鍼灸・マッサージの専門課程に進学しましたが、一人だけ大学進学の道を選択し、猛勉強していました。

そのころの私の夢は、テレビ番組のレポーターの仕事でした。15

いろいろな所に行ける、
たくさんの人に出会え、
たくさんの話が聞ける、
その土地の美味しいものが食べられるという、なんとも不順な動機でした。

とはいえ、現実の壁は高く学力も伴わない現状に断念。みんなと共に専門課程に進学しました。

しかし本音をいうと他に選択がないので、しかたなくという思いでした。

■■ 厳しい社会での経験 ■■

3年間ですべての資格を取り卒業し、広島市内の病院に就職したのでした。

病院での仕事は、身体はきつかったけれど、回復して退院される患者さんを見送る時は、なんとも言えない嬉しさがこみあげてきました。13

ある日のこと、昼一番でマッサージに来られる入院患者さんの姿が見えないので尋ねたところ、昨夜、遅くに亡くなられたと聞かされました。

それまでいろいろお話しさせていただいたことを思い出し、涙が溢れて止まりません。

生きているのは、
決してあたりまえじゃない。
死はすぐ隣にあるんだと感じさせられた出来事でした。

病院勤務をして7年が過ぎた頃、
突然の激震に打ちのめされました。

それはリストラの宣告でした。17

ええっ!なんで? なんで? なんで?
なんで私なの? どうして?

私が何かしたの?
迷惑かけたの? 何がいけなかったの?

突然の宣告に、頭の中が真っ白で何も考えられなくなりました。

私はもうここでは必要のない人間なんだ。
もういらない、「用無し」だ…。

そう言われた気がして、自尊心やプライドが音を立てて崩れ去っていきました。

そのショックから立ち直れないまま、次の就職先を見つけるために職安(ハローワーク)に。

そこで担当して下さった方が、とても親身になって相談に乗ってくださり

あなたのことを必要としてくれる職場が必ずみつかるから

焦らず気長に探せば良いのだから、と、いつもいつも励ましてくださいました。

■■ 転職 と 出会い ■■

そのお陰様もあり、国に支店を持つ有名アパレル会社にヘルスキーパー(従業員を対象にマッサージ治療を行う)として就職することができました。03

2006年、会社の健康診断で、初期の子宮頸がんが見つかったことをきっかけに、自分の人生についてや本当にやりたい事は何なのかを、改めて考えるようになりました。

それから数年後、
1人の師匠と出会いました。

その方の主催する勉強会にも参加させていただき、たくさんの学びと気づきをいただきました。

そこで学んだ事は、今の私の根幹を成すものだと言っても過言ではありません。

10数年、共に学ばせていただいた仲間たちや、道をさし示してくださった師匠には、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございますm(._.)m

■■ 新天地への旅立ち ■■

今から7年前、転機が訪れました。

私のことを妹のように可愛がってくださる方に、軽井沢の別荘に招待していただきました。

それからと言うもの、年に何度となくその別荘を訪れるようになりました。

ある時、
別荘の近くを散歩しながら…

「自然がいっぱいでとってもいいところですよね♪」と言うと

「そうだよ! それじゃあさ、引っ越してくればいいじゃん♪」

「えっ? ひ、ひ、ひ、 引っ越す? そうだねえ♪ それもいいかも♪」と

引っ越しする事を密かに決めたのでありました!

とは言っても、さすがにすぐに引っ越すと言うわけにはいかず

まずは少しずつ身の回りの荷物の整理を始め、着々と引っ越し準備をしていきました(水面下で)!17

そして今から4年前、
ついに生まれ育った広島を離れ
群馬の吾妻郡(あがつまぐん)
長野原町に、
晴れて引っ越ししたのでありました(^^)

■■ 運波セラピストとして ■■

現在は、
鍼とマッサージの治療院、
みゆき治療院を開院することができました。05

お客様の身体をほぐすだけでなく心も解し、心身のバランスを整え軽くなっていただくお手伝いをさせていただいています!

地元の方はもちろん、
たくさんの方たちが訪れて下さるよう精進して参ります(^○^)

それとともに、
運波セラピストとして
Facebookやブログ、
YouTubeでの発信を行っています^o^

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松島みゆきフェイスブック
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私同様に、
目の不自由な方あるいは他のハンディを抱えた方々の可能性を広げ、

希望の光となれる活動をしていきたいと思っています。